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㉛父のすい臓がん闘病生活~残される人~

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ときよしは 2017年3月にすい臓がんが見つかり2018年1月に亡くなりました。

 

私は大事な父親を何が何でも100歳まで長生きさせたかったわけではありません。

 

人が年取って死ぬのはとても自然な事で、特に親ならそれを受け入れないといけないと十分解っています。

 

でもガンが見つかりわずか10か月の命だったと思うと本当にやり切れません。それは手術の痛い思いをしたからです。

せめてあと1年でも病院で過ごさない時間を父には過ごしてほしかったです。ガンは本当に「むごい」の一言に尽きます。

 

亡くなった後の手続きはたくさんあり大変です。

泣く暇なんてないくらい忙しくなります。

でも本当に辛くなるのはその頃からでした。

 

【病院の最後の会計】

 

後日送られてきた請求書を持って久しぶりに病院に行く。病院中にときよしと一緒に過ごした名残が残ってました。請求書には使ってたアセリオやフェンタニルなどの薬や放射線処置が書いてあります。会計を待ってる時、初めてこの病院に来た時ときよしが座ってた窓際の椅子に目が行きました。私が病院に送るのを断った日 その椅子で測量の本を読んでた姿を思い出します。

 

 

【私の家のときよしの部屋】

ちょっとしかいなかった私の家にもときよしが最後に使ってたものがたくさん。その中に、書類の束があってきれいにホッチキスでまとめてありました。中身は、病院の領収書、予約の紙、会社の書類、そしてガンを克服した人たちの雑誌の切り抜きやガンに効く食べ物などのメモ・・どうしてあんなに書類が多いのか不思議だった答えが分かった気がしました。

 

【携帯の解約】

携帯の解約だけは最後まで勇気が出ませんでしたが、お金もかかるし、仕方なくドコモショップへ。あと約1年半の契約期間が残っていました。ずっと持ち続けるつもりで席に座っただろうと契約してた時の姿を思い出します。解約する前にふとデータの確認をすると写真が何枚か入っててそこには、一人で実家に帰った時の大工仕事の様子、ハチの巣退治、自転車、そして最後二条城に行った時の写真にときよしの前を歩いている私の後姿が何枚もあったのです。写真はぶれているものが多くてはっきりと分からないものもありました。たまらない気持ちになって定員さんに謝って飛んで帰りました。携帯はドコモは一旦解約してまた使っています。

 

ときよしが残したものや、やり残した事を大切に受け継いで行こうと思います。