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㉜父のすい臓がん闘病生活~人に何かを教えるということ~

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私が14歳で母親を亡くしてからときよしはずっと男手一つで私を育ててくれました。

 

「娘」とは分からない事だらけだったと思いますが、母親がいない足りなさ・・みたいなものは全然なく、愛情の深さがそれを埋めてくれたんだと思います。

 

ときよしがいなくなって私はあろうことか死にたいと思う日が増えていきました。

 

大事な人を亡くす辛さを知ったのに私が死んで悲しむ人の事を考えられません。

 

それどころか、人を刺しても怖くないという投げやりな気持ちさえ湧いてきました。

 

ときよしは大きな支えで、ときよしのいない日々は大きな海に針1本で立ってる様な心細さでした。

 

もちろん死ぬとか人を刺すとか出来るわけないし、立ち直らないと生活できないけど、1歩外に出れば気付かなかったときよしとの思い出ばかりで、そんな外は見たくもありません。結局家に閉じこもってしまいます。そんな時ふと、母親や祖母が亡くなった時の事を考えていました。どんなにか辛かったはずですがときよしは私の前では落ち込んだ姿を一切見せたことはありませんでした。そのことを思い出したのです

 

誰だって親を亡くすのは辛く、私だけじゃありません。

私が見てきたときよしと子供が見る私を比べてなんだか恥ずかしくなりました。

 

あれだけ辛い闘病生活の中で弱音を吐いたのはたった1度切り。

そして死ぬのを覚悟した言葉もたった1度切り。

 

それだけ強い人だったということもありますが、それ以上に「生きたい」と思ってはりました。

やりたい事がまだたくさんあると言ってはりました。

そして「病気は絶対するなよ」と言いました

 

今私が生きてる時間はときよしが生きたかった時間なのに・・

だから死にたいなんて思ってはいけないです。生きてればときよしもやりたかった事をしたでしょう。私も体を大事にしてやりたい事ができる事に感謝しないといけないです。

 

昔からときよしに教えてもらった事はたくさんありましたが、もういないのに、それでもまだ私に大切なことを教えてくれます。

 

ときよしとユンボ