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私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
O市民病院を初めて受診した日から約3週間後、検査入院の日がやってきました。
すい臓の組織検査は大変やけど、ときよしの場合は1回で成功しました。
辛い検査を1回で終わらせてくれて先生に感謝です
昔、手の手術の為に長期入院をした事はありましたが、今回のたった2日の入院はきっとその時以上に不安だったと思います。そして間違いであってほしいと思っていたでしょう。
退院して後日、検査結果を聞きに病院に行きました
検査結果を教えてくれた先生はこれから手術をして頂く事になる先生の1人でとっても偉い先生の様です。先生にはやはり
「悪性のすい臓がん」
「2,5センチのステージ4」と告げられました。
そして
「幸いにも手術ができるパターンで腫瘍が取れれば、手術しないよりは治る可能性もある でも術後の5年生存率は5%ですい臓がんは低いし 画像では周りに浸潤してそうにも見える・・結構浸潤してたら手術の途中で閉じないといけないかもしれない」
と言われました
それを踏まえ手術をするかしないか決めてくださいとの事でそれでも本人は迷わず「手術をお願いします」と先生に頭を下げていました。
手術日は4月21日の9時から
(この検査入院からほぼ1か月後)
手術の前日4月20日に入院が決まりました。
でもときよしの体はもうそこまで持たずほとんど食べれなくなっていたのと、痛み、熱などの症状で救急で受診し予定よりも2週間程早い4月9日に入院になります。
~すい臓がんでも腫瘍のできる場所によって症状が違う~
膵コウ部ガン
膵頭部ガン
膵体部ガン
膵尾部ガン
だいたいの症状は黄疸や腹痛、背中痛など、似ているとは思いますが、できている場所や進行具合によって症状が人によって若干違うそうです
ときよしは「膵コウ部ガン」と診断されていて、症状的には食欲不振、腹痛、背中痛、嘔吐でした 黄疸はこの時点では出ていませんでした
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
手術当日
この日の朝は手術の成功を願って 家族みんなで神社に寄ってから病院に向かいました
私には当時19歳・14歳・12歳の子供がいて、まあまあ大きいのでバイトだったり、友達だったりとみんなが揃うのは結構大変だったりするのですが、この日は前からみんな予定を空けてくれていました。
旦那も仕事を休んで1日空けてくれました。
病室につくとときよしは、何やら書類をまとめたり歯磨きしたり顔を洗ったりして今から大手術をする不安は一切見せませんでした。
私の友達Yちゃんも駆けつけてくれて手術室に入るまでずっと付き添ってくれました
Yちゃんは私の幼馴染で昔はよくケンカし、一時は疎遠にもなっていて、ときよしが仲を取り持ってくれたことがありました
昔からYちゃんはときよしを大好きと言ってくれて、ときよしの頼みじゃなかったらあんたとも仲直りしてないと言われた程です。
なかなか気が強いのです
着替えをしたり手術用の靴下を履いたりして準備が整うと3階の手術室までみんなで行きました。途中エレベーターの中で「手術室でBGMかけれるよ~」と看護師さんに言われると「高倉健がよかかね~」と即答していました。(実際は古かったのかCDがなく聞けない・・私は絶対にBIGBANG!)
手術室の前で私たちは止められました。ときよしは看護師さんとその奥へ入っていきながら、後ろを振り向いて私たちに大きく手を振っていました 私なら怖くて震えが止まらないと思うけどときよしは採血に行く様でした。 不安を隠してじゃなく本当にガンとサヨナラできるすがすがしい気持ちみたいでした。
・・手術を待つ時間・・それがひたすら長かったです。今回の手術はうまくいけば8時間程。お腹を開けてガンが広がってたら途中で閉じて半分の4時間で出てくる・・
1時間、2時間、4時間も経ちました。この4時間までは本当に不安で心臓が苦しかったです。そのあと予定の8時間より3時間遅い11時間でやっと手術室からあの偉い先生が出てきました 「もう終わりました」「ちゃんとガンは取れました」など言って下さったとは思いますがふらふらであまり覚えてません。
手術は成功という事です。
そのあと看護師さんがICUのときよしのとこまで案内してくれました
手を振って手術室に入っていった姿とは別人の姿がICUの隅っこのベッドにいはりました。 そばに近づくと意識もうろうのときよしが「先生・・ありがとう」と私たちに言いました 長時間大変な手術に良く耐えてくれました。
先生方もこんな大変な手術をありがとうございました
ときよしの姿を見て旦那や子供たちは泣いていました
~膵頭十二指腸切除術~
膵臓、胆のう、十二指腸あたりを部分的に切除して胃や腸などをつなぎ合わせるお腹の手術ではとても大きい手術
ときよしも胃・十二指腸・胆のう・すい臓・小腸のそれぞれ一部を切り取り、胃腸をつなぎ合わせました 本来の内臓の位置を変える事になるので術後の後遺症として腹痛、下痢嘔吐などが残る可能性がある
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓がんが見つかりました
手術が終わったときよしはとてもげっそりしていました。
術後間もないのでICUでずっと寝たきりですが、寝てるシルエットがとても痩せて見えました。
というのも、手術前予定より早めに入院した4月9日からは何も食べていません。点滴で栄養剤を入れていただけ・・(手術前は特に手術に耐えれる様に体力を付けないといけなくて栄養剤も腸に直接つないで入れていました)
もともとはよく食べる人だったので体重が80キロ程ありましたが、ここ最近で10キロから15キロは落ちたと思います。
そして手術で内臓も減ったので手術後は60キロ台にまでなっていました。
手術の日、ICUのときよしに会いに行く前、摘出したガンや内臓を見せてもらっていました。肝心の憎たらしいガンの次に驚いたのは内臓の量でした。一部と聞いていたので小さなものかと思えば、先生が両手でやっと抱えるくらいの大きなものだったのです。そう思うと体重が減るのも分かります。
ICUの面会は時間が限られています
仕事で行けない日もあるし、行ってもほんの少しの時間、きつい痛み止めで眠っているか、もうろうとしているかの様子をただ見てるだけで終わる日がほとんどでした。
視点が合わなかったりして最初はちゃんと元のときよしに戻るのか不安でいっぱいでした。
ICUから元居た7階の病室に戻ったのは4月25日で、手術から4日後でした。
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
4月25日 ICUから病室に戻ってももちろんしばらくは寝たきり状態です。きつい痛み止めも効いているけど何とか意識を保っていて痛みと明らかに違う自分の体と戦ってはりました。
私の次女は前に足の手術をしていて、その時手術の前は怖くてすごく痩せましたし、手術室から出てきた時はわんわん泣いていたのを覚えています。ときよしの姿を見て「切った後は強烈に痛いんやで」と教えてくれました。経験者の言葉には重みがありました。
娘の手術が簡単だったとは言いませんが、正直今回はそれを上回るものではないでしょうか。
体が熱いのか氷枕を欲しがる
全身をいつもうちわであおいであげる
耳が聞こえ辛くなってる
視界に黒い幕みたいのがあるらしく壁が汚れてるからきれいに拭いてほしいという
冷たい氷や冷たい水をほしがる
何よりも辛い強烈なお腹の痛み
毎日こういう症状が続いて5日程経った朝に、病院から
「緊急でICUに入ってもらいました」という電話がありました。
びっくりして、慌てて病院に行き7階病棟の看護師さんに事情を聞くと、夜中呼吸が浅くなって苦しそうだったので先生を呼んで処置をしてもらい、ICUに運んだというのです。
傷口から感染が起きたのか、いつも欲しがった氷や冷たい水を誤嚥したのか、「肺炎」にかかっている様でした。
時間外でしたがICUに入れてもらい怖かったけどときよしに会いました。本人は眠っていて心なしか息苦しそうにも見えました。
私が横にいる事は分かっていません。
ICUに入ったのは5月1日
GWはICUで過ごしました。出れたのは1週間後でした。
~主治医の先生たちの事~
看護師さんがA先生を呼んでくれた時、A先生は仮眠室にいて、電話したら飛んできてくれたと聞きました。処置をしてる間も「あんな大手術をしたのにここでもしもの事なんかあったら・・絶対に助けなあかん」って言ってはって・・A先生が必死に処置してくれたと看護師さんが話してくれました。
このA先生も手術を担当してくれた1人であの偉い先生ともう一人若いB先生の合計3人がときよしの主治医でした。特にこのA先生はこれからずっと私が一番頼りにする先生でした
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
1週間経ってICUから再び病室に戻りました。
そこからはひたすら痛みとの闘いです。まだきつい痛み止めも使いながらやのに普段の強烈な痛みは取れません
じっとしてても寝返りしても痛いし、痛くて声が出ないから伝わらないし、痛みで睡眠不足で、紛らわす為テレビや本を見たくても視界は真っ黒で音も聞こえ辛いし・・
たった1分が長いだろうなぁと思います。
言いたい事が伝わらない時、必死に声を荒げる事はたまにありましたが私に八つ当たりしたりしません 私なら気が変になりますが、辛抱強い人です
本人にとって「睡眠不足」が一番辛かった様で、眠剤をもらって少しでも寝れる様にしてはりました。
私はかける言葉もなくて何も分かってあげれなくて
健康なくせに無力です。
だからときよしがベッドを上げてと言えば上げて、下ろしてと言えば下ろします
例えばそれが30秒ごとに変わっても黙って言う通りにしました。
今痛い人にしか分からない事があるんだろうと思うんです。
お腹を切るって想像以上でした
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
ICUから病室に戻って3日後くらいから食事が始まりました。
ほぼ1か月以上食べ物を食べてなくて食べれない事もずっと辛そうにしてはったんで食事が出ると聞いてときよしはちょっと元気になったし、私もテンションが上がりました。
でもいざ口にすると食べ物が口に合わなくて2~3口でごちそう様しました。
重湯と果汁だったような気がしますが・・
食べれないのが辛かったのに長期間続くと逆に食べる事に
抵抗がある様でした
「慣れ」というものかな・・人の体は不思議にできています。
ところがそこからみるみる回復していったのです
5月8日 病室に帰ってくる
5月11日 重湯始まる
5月15日 歩行器で歩いてみる
5月17日 お腹から繋がってた管の左側が外れて、腕の点滴類も外れる
5月23日 眠剤やめる(寝る事あきらめる)
5月24日 相変わらず口の中が熱くて氷をなめる
5月25日 散髪(ずっと座ってるのが疲れてた)
5月27日 小さいボールおにぎり・ハム・スイカ・メロンほんのちょっと食べてみる(家から持ってきたやつ)
5月28日 おにぎりボール・卵焼き・煮つけほんのちょっと(体重60キロ)
5月29日 メロン2切れ 首の点滴外れる
5月30日 普通食始まる
5月31日 お腹右の管外れる シャワーを浴びる(体重62.8キロ)
先生たちが回診に来るたびどんどん元気になっていくなぁと言われて、とっても嬉しそう
多少お腹が痛くても今は術後すぐに歩けと言われます。そっちの方が早く回復するそうです。
~ごはんの力~
食べない間は栄養剤を腕やら首やら点滴で入れたり直接腸に送ったりしながら命をつないでくれます
それでも1日に摂れるカロリーは1キロ前後といったところでしょうか
私たちは元気なら口から色んなごはんを食べて、しかも(おいしい)と思いながら簡単に高カロリーを摂る事が出来ています
体に良い食べ物ももちろん大事ですが「口から食べる」という事自体が幸せな事と思えます
病気を目の当たりにして、毎日の当たり前に改めて感謝しました。
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
6月に入るとますます目に見えて回復してくれました。相変わらず痛いけど、だんだん傷口の痛みはマシになってきて寝れる様になって、大部屋に移ったり、栄養剤が減ったり、リハビリも歩行器に加え筋肉運動が増えたりして前のときよしに戻るのはそう時間はかからないだろうなぁと思っていました。
そうしてるうちにときよしの誕生日が近づいてきたのでそれに合わせて「外泊」の許可をもらいました。
6月13日
朝から体に付いている管を全部外してもらって小さいかばんに着替え1泊分きれいにたたんで入れてお気に入りの時計をはめて眼鏡をかけゆっくり歩いて病室を出ました。
途中ナースステーションに寄って、「ちょっと家に帰ってくるけんね、今日誕生日やけん」と看護師さんたちに一言伝えてはりました。
看護師さんたちからは「誕生日なんーおめでとう」「外泊出来て良かったやーん」「そんな元気ならもうここには戻らんでも大丈夫ちゃうか」と、たくさんの言葉をかけてもらっていました。
看護師さんというのはお喋りも上手で癒されます。
病院を出ていよいよ2か月振りの外です。車に乗って私が運転する横で走る景色をじっと眺めてはりました
外泊は私の家で過ごします。
夕方子供たちが帰ってきて旦那も帰ってきてときよしのリクエストのご飯とケーキで誕生日を祝って誕生日プレゼントも渡しました。
プレゼントは肩から斜め掛けできる茶色のカバンなどです
このかばんはちょっと前に友達Yちゃんとご飯を食べて買い物した時Yちゃんがときよしに買ってくれたものでした。
Yちゃんはとても思いやりがあります。
ときよしもそれを知って大喜びで「Yちゃんの11月の誕生日はお返しせんばね~・・なんがよかっちゃろうか・・」と今から考えてはりました。
ときよしはケーキには手を付けずそのケーキの前で孫たちと動画と写真を撮ってからちょっと早めに寝はりました。
次の日
ときよしは朝から少し体調を崩してしまいます
昨日の夜にちょっとだけ食べ過ぎたせいでした。でもすぐに治ってなんやかんやであっという間に夕方になり、病院に戻る約束の7時には私と真ん中の子でときよしを病院まで送っていきました。
75歳おめでとう
ときよしと時計とめがねとケーキ
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
6月21日
外泊から1週間後に退院が決まりました。
外泊である程度普通に過ごせるのが分かってときよしも自信がついたのだと思います。
病院はもちろん設備も整っていて安心だし、栄養を考えたごはんは出てくるし、先生も看護師さんも心許せて癒されるけどやっぱり家が1番です。
朝早く荷物をまとめて、10時には栄養士さんに家での栄養指導をしてもらって、ナースステーションで最後の挨拶をして、会計をし、病院を出ました。
栄養士さんがおススメしてくれた「メイバランス」というジュースタイプの栄養補助食品を帰り道の途中の薬屋さんで買って帰りました。
ときよしは退院後実家には帰らず私の家で過ごす事になりました。
これからいよいよ自力で元通りの体に戻していかなければなりません。
~6月退院までの入院生活の事~
6月1日 個室から4人部屋へ移る
6月2日 24時間の栄養剤が1日2本に減る
6月3日 栄養剤が1日1本に減る
6月4日 栄養剤終わる
6月7日 便の状態がとても良くなる
6月13日14日 外泊
6月21日 退院
これまでは自分が弱っていたので人に会いたがらなかったけど元気になりだして会える様になる。
実家の近所の人たちや会社の人たちが良くお見舞いにきてくれてうれしそうだったし、人に会うとより回復していく様に見えた
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
手術が無事成功して術後経過も順調で、これからもっと回復すればときよしは仕事復帰も考えてはります。
「ガン」という病気はこれで終わりという訳にはいかなくて、再発予防の為に「抗がん剤」治療などに進むのが一般的です。
ときよしがたくさん飲み続けている薬の中に「痛み止め」がありました。
まあまあきつい薬です
これは術後の痛みを抑える為の薬でもありますが、この先この痛み止めが無くなる事はありません。
まだ入院中 GWが明けちょうどご飯が始まったくらいの頃、私だけA先生に呼ばれて話をしていました
「手術の時すい臓のそばの動脈の組織を採って後で組織検査に出したら目に見えないガン細胞がすでに浸潤していた この動脈は小腸に繋がっていて取ると腸が腐るので手術は出来ない」という内容でした
要は再発どころかガンはすでに手術できない場所に転移しているということです。
先生は必要なことだけ言うと黙ってはりました。私は意味を理解するのに時間がかかりましたが
「それは一番最初に言われた余命の6か月が変わらないかもしれないっていうことですか?」と聞くと「可能性は高いです」とだけ答えはりました。
話が終わってトイレかどこかで泣きはらして病室になかなか戻れなかったのを覚えています
あんな大手術をしたのに?治るって信じて辛い術後に耐えてるのに?
目を何度も洗って何とか泣いてない顔で病室へ戻りました。
ときよしはイヤホンをして眼鏡をかけて一生懸命テレビを見ようとチャレンジしてはる様子でした
ベッドの上の何も知らないときよしを見ると嫌でも涙が出てどうしても止める事ができませんでした。
この時だけはときよしの目が見えにくくなってて良かったと心から思いました。
泣いてる顔は絶対に見せたくないです。
ときよしがいなくなる、そう遠くない未来を覚悟しないといけないし、それまでの時間をときよしの為だけに使おうと決めました。
この時から仕事を辞める事を考えだしました
ガンが心底憎いです。
~転移~
すい臓がんは年齢関係なく進行が早くて、そのスピードは例えば大腸がんが半年単位としたらすい臓がんは月単位だそうです。
すい臓の位置的に周りには大きな血管や神経、ほかの臓器も密集しているから、転移もしやすいみたいで、特に転移しやすいのは肝臓、腹膜、リンパだそうです。
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
退院してからすぐに7月になって病気前ほどではないけど、どんどん元気になっていきました。
私たち家族は仕事やら学校やらでいないし一人の時は何してたんでしょう・・
ときよしは、B型やのにとても几帳面な人で郵便で届いた封筒なんかははさみでミリ単位でキレイに切るし、病院の領収書や予約表なんかはもちろん日付通りに重ねてきっちり決まった角度でホッチキス止めします。
職業柄かな・・
新しい自分の部屋で気付けばいつもそういう書類の整理をしてはりました(どうしたらそんなに書類だらけになるんやろ・・)と私的には謎でした
昼間は友達が来てくれたり、週末は友達の所へ泊りに行ったり、
みんなでごはんに行ったりしてどうやら暇はしてなさそうでした。
小林麻央ちゃんと病気の時期が一緒だったし扱いなれないタブレットでよく麻央ちゃんのブログを読んだりもしてました
「若いのに辛抱強か~お父さんにはここまでできんねぇ」といつも尊敬してはりました
たまに体調を崩したりして救急で病院に行く以外はホントに元気になっていきました
私の店で過ごす お客さんもびっくり(泣)
孫と将棋