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私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
3週間の放射線治療が終わろうとしていた時、あと何日かでおおみそかという時。
薬か病気によるものか分かりませんが「せん妄」が出てきました。
せん妄とは幻覚が見えたり今の現状が良く分からなかったりする症状の事です。
その日は朝からずっと爆睡してていつもの放射線治療の時間になっても目覚めませんでした。
看護師さんがどうやって起こしても起きる気配なし。みんなが変に思いながらこの日は放射線は一旦お休みしました。
でもここ最近は痛みや嘔吐で夜中だって関係なく起きてしまうし、ずっと寝不足やから寝かしてあげよう・・ということで、ときよしが寝てる横で久しぶりに私も暇な時間を過ごしました。
~日記~
12月28日 朝から起きない とりあえずずっと寝不足やし寝かせよう たまに起きるけどなんか訳が分からんくなってる
12月29日 朝来たら看護師さんたちの休憩室みたいなとこにベッドごといてる・・夜中目が離せへんたみたい 近寄っても、うちの事が分かってない でも無事放射線終わる 夜は子供らも一緒に病室で夜ご飯 見てないと危ない
12月30日 朝から晩までしゃっくりばっかりしてる 寝てても自分のしゃっくりにびっくりして起きてる
年末~正月 ときよしはずっとせん妄 看護師さんにつっかかる・・ 動いて点滴外そうとする・・うちがいれへん時はナースステーションで看護師さんの横にいてたり・・ 夜中ベッドから起きて病室の中を歩いてベッドに戻る こんなたかが5分くらいの事を朝まで繰り返す 「もう家帰ろうか!」って言う「そやな、もう帰る時間やな」って返事すると安心して笑う・・
ほぼ1週間 疲れる ちょっとでいいから寝たい・・でもうちは病気じゃない 病気してる本人のしんどさはこんなもんじゃない なんとかしてやりたい
1月7日 せん妄がなくなる ここ最近の事は覚えてないけど、うちとか看護師さんが目がつり上がった冷たい人間に見えたって言ってた しっかりしてて優しいいつものときよしに戻った
正月明けの先生の話 「肺」に転移してる可能性
安心したのも束の間で、楽しい時に崖から突き落とされる気分
病気は本当にむごい
11月の最初に入院してすぐの時も軽いせん妄になって、それからも時々寝ぼけみたいな感じになるときがあったけど、その時は本人も「幻覚を見ている自分がいる」とちゃんと解ってはりました。今回は完璧なひどいせん妄でした
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
せん妄がなくなったら普通にしっかりしていて、痛みもマシで、放射線の効果が今になって出てると本人もそれを実感してはりました。
ほんのちょっとやけど、好きなものを口にする事が出来たし、話してる時の元気さも普段と変わらなかったです。
今いる病棟は手術をする人の「外科病棟」でこれからは「緩和ケア」に行かないかと先生と婦長さんに提案されました。
知ってる人は多いと思いますが、治療が困難な人が過ごす病棟です。
ときよし位の歳になると、緩和ケアがどんなところか・・そこに行く人をきっと何人も見てきて知ってるはずです。
どことなく病棟を移ることに複雑な気持ちを持っていそうでしたが緩和ケア病棟に移る為の面談をしに緩和の先生と看護師さんが来てくれました
痛みの調整の話のとき以来です
ときよしは「お世話になります よろしくお願いします」とベッドの上で深く頭を下げていました。
私は「外科病棟は手術する人専門で痛みの調整は緩和ケアの方が上手やし、ちゃんと調整してもらって合う薬が見つかったら家に帰ろう」と声をかけました。
緩和ケアに引っ越すのは 1月15日
一緒に歩いたり、頭を洗ったり、足湯をしたり・・外科病棟で過ごした最後の方は夏位の元気さで楽しかったです
手慣れたひげ剃り
うどんを欲しがったので小分けに作って冷凍
散髪
「理容師辞めて看護師なろうか?」って言ったら笑ってた
入院中の人の身なりを整えられる理容師は素晴らしい仕事と実感
「男前になった」と満足そう
看護師さんに怒られる覚悟で歩行器で走り回るとケラケラ笑ってた
本当は笑えないはずですがこれも親心なんだと思います
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
~日記~
12月3日 ステント入ってるせいで放射線ができひんかも・・放射線に少しでも期待かけてたっていうから「ステント外れるかもしれんし先は分からんで」って言ったら顔が明るくなったみたく見えた ステント外れるわけない・・この際ときよしの為に嘘ばっかりつく 希望って大事
12月5日 会社から退職届を出してほしいって言われたし、書いてってお願いしといたらしんどくても書いてくれたみたいで、書き終わる前に紙の上に吐いてしまってた。たった2~3行が書けへんねんな・・
12月7日 会社が、辞めたのに忘年会誘ってくれた 会社の人達は誰もときよしがここまで悪いって知らんしな・・ときよし出るか迷ってはる・・・どっかでは治るし元に戻ると思ってる うちもまだきっとそう思ってる
12月11日 朝から痛みがきつくてどうしようもない ときよし初めて泣いて弱音言った 「お父さん、もう死なせてくれんかね」って「死んだ方がマシ」って。「なんて事言うの」って言った瞬間涙が出た ときよしの前で初めて泣いてしまった 辛さに耐えれず弱音を吐いたのか・・実はいつもそう思ってるのか・・周りが良くしてくれてるから自分が頑張らなあかんって思うらしい・・頑張って治そうな・・とか言わん方がいいんかな
1Fで見た車椅子のおじいちゃんがときよしに良く似てて間違えたけど、ときよしはもう車椅子よりストレッチャーの方が多いんやった・・自分でハッとする 時間をかけて元気な姿がなくなっていってる
でも放射線なんとかできる様になったし今日から行った 放射線中は絶対動いたらあかんから鼻やら耳やらかゆくなったらどうしようって緊張したらしい 子供みたい・・これから3週間頑張ろうな
12月16日 帰る時、寝てたら起こさへんけど、上見てぼーっとしてたから帰るでって声かける。だんだん我に返って「うん」って言って手を握ってきた。心なしか今にも泣きそうに見えた。不安なんや、多分・・。うちから手を離したけど手を放すのって辛い。うちが帰っていく後姿をいつもどんな気持ちで見てるんやろう・・
1月9日 正月中のせん妄がなくなってだいぶしっかりしてきた 「先生がこらす(来はる)たんびに、痛かですって言うのが気の毒っかごたぁ~(なんだか気の毒)せっかく手術ばしてもらったとにさぁ・・治らんですんませんてあんたから言っといてね、もしお父さんが、またせん妄になってしゃべれんくなったら・・」やって。そんなことを今日は明るく言った。なんでかわからんけど、ときよしの娘でうち、よかったわ。
1月15日 「家帰ろうと思うとったばってんねぇ・・」って言ってしばらくして、うちに軽トラの事とか支払いの事とか頼んできた「支払いで金が余ったりしたらおいしいもんでも食べてよか 軽トラは売っても置いといても、あんたの都合よかごとしたらよかけん・・お父さんがおらんようになったつもりで動いてくれたらよか」って言って歯磨きしだした・・返事はせんかった 今日は緩和ケアに引っ越してきた日。この部屋はそんなこと言いたくなる気分になるかも・・。これは死ぬのを覚悟した言葉よなぁ・・
とっきーの愛車
私の父「ときよし」は2017年3月にすい臓ガンが見つかりました
~日記~
1月15日 今日から緩和に引っ越し 外科から離れるの嫌やなぁ A先生じゃなくなるし・・しかも前に(緩和の先生)と(緩和の看護師さん)にキレてるし・・いらん事してもーた・・慣れるんかなぁ、ここに。昼間セミナーで引っ越しに付き合えへん 夕方病室来た時、電気もつけんとベッドに座ったまま一点見てぼーっとしてた。ときよし、ここ、来たくなかったよな・・。でも7階の看護師さんたちがみんな並んで見送ってくれて、リハビリで歩くときは7階来てなぁってゆってくれたって嬉しそうに話してた。うちは看護師さんたちのお別れは最後にしよう。
思えば最近は病院の中ばっかりいたし、今日は久しぶりに外から病院を見る気分で・・いつか、もっとずっと先でこの病院を(あんな時があったんやな)って見る時が来るんかな・・とか・・
ここ何日かはなんでか考えたくない、こんなことばっかり考えてるなぁ・・
ときよし、ケータイ触ったり、本読んだり、今めちゃ元気。だから今がずっと続いていつまでも一緒にいれると錯覚してる。今もケータイ握りしめたまま寝てしまってる。おやすみ、帰る。
1月16日 (長女)がインフル。夕方から来る。スープが出たけど全部吐いたって・・でも元気
1月17日 15時から音楽会 (長女)見てから来る 石原裕次郎の「北の旅人」をリクエスト。楽しそう。終わって病室戻るとき車椅子押してたら「お父さん、全然声の出んね~」やって。いやいや、1番声デカかったで(笑)聞こえへんのか~困ったもんや
(長女)が気になるし一回帰る。でもまたすぐ来る。来たら様子が変わってる。仰向けに寝たまま大きく目開いて、布団、顔半分までかぶってガタガタ震えてお経唱えてる。いくら声をかけてもうちが見えてない 完璧なせん妄 熱41℃ 夜中まで付き添う 一時的やったみたいで、朝方落ち着いてから帰る。
1月18日 朝来てすぐ(緩和の先生)の話。肝臓からの熱の可能性やって。朝一人で歯磨きしようとしてこけて頭打ったって看護師さんから聞いた ごめんな、いてたら良かったんやな 様子を見に行くとぼんやりしてる・・(長女)がインフルエンザやからうちが移ってなくても「保菌」してるかもしれんし・・できるだけそばにいーひん方がいいかもって看護師さんに言われる どうしよう・・そんなん無理や・・でもときよしと他の患者さんの為か・・一旦帰る でも夕方看護師さんから血圧が低くなってきてるから来てあげて下さいって電話ある (次女)連れて、大泣きしながら向かう 夜、(緩和の先生)に「敗血症にかかってる」って言われる
そばを離れへん
ベッドの中でずっと動いてる 涙が出てる でも夢うつつの中しんどくないって言う A先生が来てくれはった。「この土日、、もしかしたら今日でもおかしくない」って「どうか気をしっかり持って下さい」って
ケータイ使うのに下のデイルームに降りる ときよしがずっといた7階を見下ろす 見慣れた看護師さんたちが忙しそう 前まで長い間エレベーターで7階に行く時、お見舞いで9階を押す人を何回も見た 今は7階押す人をうらやましく見る
しんどいときよしを1人にばっかりさして、うち、何のために仕事辞めてんろ 病気より(緩和の先生)より誰より自分に腹が立つ ごめん それしか言えへん こんなうちなんかを毎日待ちわびてくれてありがとう
緩和ケアに来てから6日後の
1月21日 日曜日 朝の8時15分
ときよしと さよならしました。
病院に友達のYちゃんが飛んできてくれました
Yちゃんは不思議な事にこの日の朝
「Yちゃん おっちゃんもう痛くない」 と言ったときよしの夢を見たと言いました
私は2月日ほど寝ませんでした。もし私が寝たら私の所にもそう言いに来たかな
病室には手帳、歯ブラシ、歩行器、ジャンパーと靴が、私と一緒に取り残されていました
ときよしは 2017年3月にすい臓がんが見つかり2018年1月に亡くなりました。
私は大事な父親を何が何でも100歳まで長生きさせたかったわけではありません。
人が年取って死ぬのはとても自然な事で、特に親ならそれを受け入れないといけないと十分解っています。
でもガンが見つかりわずか10か月の命だったと思うと本当にやり切れません。それは手術の痛い思いをしたからです。
せめてあと1年でも病院で過ごさない時間を父には過ごしてほしかったです。ガンは本当に「むごい」の一言に尽きます。
亡くなった後の手続きはたくさんあり大変です。
泣く暇なんてないくらい忙しくなります。
でも本当に辛くなるのはその頃からでした。
【病院の最後の会計】
後日送られてきた請求書を持って久しぶりに病院に行く。病院中にときよしと一緒に過ごした名残が残ってました。請求書には使ってたアセリオやフェンタニルなどの薬や放射線処置が書いてあります。会計を待ってる時、初めてこの病院に来た時ときよしが座ってた窓際の椅子に目が行きました。私が病院に送るのを断った日 その椅子で測量の本を読んでた姿を思い出します。
【私の家のときよしの部屋】
ちょっとしかいなかった私の家にもときよしが最後に使ってたものがたくさん。その中に、書類の束があってきれいにホッチキスでまとめてありました。中身は、病院の領収書、予約の紙、会社の書類、そしてガンを克服した人たちの雑誌の切り抜きやガンに効く食べ物などのメモ・・どうしてあんなに書類が多いのか不思議だった答えが分かった気がしました。
【携帯の解約】
携帯の解約だけは最後まで勇気が出ませんでしたが、お金もかかるし、仕方なくドコモショップへ。あと約1年半の契約期間が残っていました。ずっと持ち続けるつもりで席に座っただろうと契約してた時の姿を思い出します。解約する前にふとデータの確認をすると写真が何枚か入っててそこには、一人で実家に帰った時の大工仕事の様子、ハチの巣退治、自転車、そして最後二条城に行った時の写真にときよしの前を歩いている私の後姿が何枚もあったのです。写真はぶれているものが多くてはっきりと分からないものもありました。たまらない気持ちになって定員さんに謝って飛んで帰りました。携帯はドコモは一旦解約してまた使っています。
ときよしが残したものや、やり残した事を大切に受け継いで行こうと思います。
私が14歳で母親を亡くしてからときよしはずっと男手一つで私を育ててくれました。
「娘」とは分からない事だらけだったと思いますが、母親がいない足りなさ・・みたいなものは全然なく、愛情の深さがそれを埋めてくれたんだと思います。
ときよしがいなくなって私はあろうことか死にたいと思う日が増えていきました。
大事な人を亡くす辛さを知ったのに私が死んで悲しむ人の事を考えられません。
それどころか、人を刺しても怖くないという投げやりな気持ちさえ湧いてきました。
ときよしは大きな支えで、ときよしのいない日々は大きな海に針1本で立ってる様な心細さでした。
もちろん死ぬとか人を刺すとか出来るわけないし、立ち直らないと生活できないけど、1歩外に出れば気付かなかったときよしとの思い出ばかりで、そんな外は見たくもありません。結局家に閉じこもってしまいます。そんな時ふと、母親や祖母が亡くなった時の事を考えていました。どんなにか辛かったはずですがときよしは私の前では落ち込んだ姿を一切見せたことはありませんでした。そのことを思い出したのです
誰だって親を亡くすのは辛く、私だけじゃありません。
私が見てきたときよしと子供が見る私を比べてなんだか恥ずかしくなりました。
あれだけ辛い闘病生活の中で弱音を吐いたのはたった1度切り。
そして死ぬのを覚悟した言葉もたった1度切り。
それだけ強い人だったということもありますが、それ以上に「生きたい」と思ってはりました。
やりたい事がまだたくさんあると言ってはりました。
そして「病気は絶対するなよ」と言いました
今私が生きてる時間はときよしが生きたかった時間なのに・・
だから死にたいなんて思ってはいけないです。生きてればときよしもやりたかった事をしたでしょう。私も体を大事にしてやりたい事ができる事に感謝しないといけないです。
昔からときよしに教えてもらった事はたくさんありましたが、もういないのに、それでもまだ私に大切なことを教えてくれます。
ときよしが亡くなってもうじき1年になろうとしています。
泣く回数で言えば減ったけど、悲しさにレベルがあるとしたらMaxで、いつまでも変わりません。何年経とうとそうらしいです。
周りはそう言います。
親を亡くすのは順番なんだと言い聞かせて生きております。
大事な人をなくすのは私の人生で初です。
母親も亡くしてますが大したことはありませんでした。
嫌いだったからです。
ときよしと行った二条城の近くのご飯屋さんは次も一緒に行くつもりだったのに、結局初めて行ったあの日が最後になりました。
私は友達にも「また〇〇行こうなぁ」とか言います。
子供の「お母さん、〇〇連れてって~」も「また今度なぁ」とか言うんです。
病気のときよしとさえ、ご飯屋さんに次行けると思ってました。それが健康な相手ならなおさらです。
人はどの一瞬が最後になるかなんて本当にわからないです。
これからは[また今度」を減らしていこうと思います。
お金の問題も考えます。
ときよしは仕事に復帰したいけど体調不良で結局退職する事になれば休業補償もなくなると葛藤してはりました。
私は休んでても補償があるうちはもらいながら治療に専念した方がいいと勧めました。
でも結果ときよしの生きがいから遠ざけたような気がしています。
その時の判断は間違いじゃなかったとも思うけど、どの答えを出してもどうせ後悔するなら、お金の問題に直面する時はお金を取るのはやめようと・・今は思ってしまいます。
「お金はなんとかなるからそんな心配せんと仕事行き」と声をかけてれば・・仕事に復帰してすぐにやめる事になったとしても本人のやり切った感が残ったんじゃないか・・
女優の天海祐希さんが「お金は人を助ける時に必要です」って言ってはりました。お金には使い方ってもんがちゃんとあるんですね。間違いありません
そしてお墓
今は「墓じまい」とまで言われるのに私はときよしのお墓が欲しくなりました。骨をそばに置いときたいけど
地震が来たら?持って逃げれなかったとして家がぺっしゃんこ・・ときよしもぺっしゃんこです。
じゃあ永代供養で共同の納骨・・?誰(笑)一緒に入ってる人たちは(笑)
悪くないけどときよしだけには会えません。
ときよしが死んでただでさえ会えない辛い毎日やのに・・せめてお墓に会いに行きたくなったんです。
そして嫌いだった母親も一緒にお墓に入れて母親にもちゃんと手を合わせたいと思うようになりました。
なんといっても大事な人の大事な人なんで。
私は心が広くなりました。
昔から「辛い経験をした人は人にやさしい」とか言いますが、
ときよしを亡くす辛い経験が母親にまで優しくなれたって事で・・
両親が今いる世界を大切にしていきます
お仏壇とか、線香とか、多分やけど「あっち」に通じてるんでしょう・・
ときよしが大切にしてた物や人も大切にしていきます
実家、母親、祖母、孫たち、同僚だった方たち、私自身です
亡くなって家に連れて帰ってきた次の日、会社の方達15人ほど、なんと全員で顔を見に来てくれたのです。吹雪の夜でした。
ときよしととても仲良くしてくれていた同僚の方が
「お父さんの娘やっていう事を誇りにしていきや」って言って下さいました。 とても素晴らしい人だったと私の知らないときよしの事を教えて下さいました。
これから先、自信をなくす時その誇りだけで堂々と生きていけそうです。 きっと私が死ぬ日まで私を強くしてくれます。
会いたいなぁ、声が聴きたいです
絶対に叶わない願い事です
鈴虫寺のお地蔵さんでもこの願いは叶えれないわ
親がいる方は是非とも大事にしてほしいと思います
ブログ更新していますのでしばらくお待ちください。